「アイソレーション・タンクへ入ってきました。」

2009.03.09 by voidphrenia

日本で唯一のアイソレーションタンク・サロンECCOに行ってきました。

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ECCOは東京の白金、閑静な住宅街から更に一歩入った路地の奥深い不思議な場所にありました。約束の時間にECCOに到着するとオーナーのM氏が迎えてくれました。M氏は晩年のジョン・C・リリーと親交の厚かった方で、1992年にリリーが来日した際にも来日をコーディネイトしたそうで、その後もハワイのリリー宅を何度も訪れています。このECCOはリリーから直々にアイソレーション・タンクというこの不思議な装置、体験を日本に伝えることを託されて開設したそうです。

早速中へ招いていただいて、レクチャーが始まりました。アメリカでは基本的に先入観を廃すため殆ど説明無くタンキングさせるようですが、M氏曰く、西洋的な強固な自我の文化がない日本では、ある程度起こるであろうことを説明をして体験するほうが、迷いや混乱がなくて済むとのこと。インフォームド・コンセントのようです。実際体験した私もM氏の最初のレクチャーが大変役に立ちました。

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「フローティングシェルとは? HPより http://www.eccoproject.com/shell/
無重力・無感覚を体感できる他にはない究極のリラクゼーションマシーン───人ひとり、ゆとりをもって横たわれる大きなカプセル(シェル)に満たされたにがり成分の海。深さわずか25cmのこのシェルウォーターに裸で体をゆだねて浮かびます。死海や母の胎内に浮かぶようなイメージです。水温は肌の温度に合わせて快適になるよう調節されています。フローティングシェルの内部では光や音が遮断され、完全な闇の世界になります。重力から解放され、五感のあらゆる刺激が無くなることで深いリラクゼーションを得ることができるのです。」

10代の後半、ケン・ラッセルのアルタードステイツによって、アイソレーションタンクという存在を知ってからはや20年、遂に実際にタンクが体験できるとあって、はやる期待と興奮を抑えきれません。しかしこの気負いが後になって仇となることに。

実際にタンクに入るに当たって、まず精神を鎮める為のヒーリングと、禊ぎがありました。これはシンギギング・ボウルと鈴、そして神道のお祓いのような所作によって行うのですが、これが日常の意識とこれからタンクという変性意識の世界へ参入するための大変効果的な意識の切り替えの作業になっていて感心しました。頭上に乗せたシンギング・リングの倍音が体の中心で鳴り響き、これだけで相当なリラックス効果を実感しました。

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タンクへは裸で入ることになります。そのためにタンクに併設されたトイレであらかじめ排泄を済ませ、その後シャワーで頭の先からつま先まで洗います。そしていざタンクへ。その際も日本的なアレンジがなされており、タンクの周囲へスピリチュアルな結界が張られて、内部の体験者を霊的に保護するしつらえがなされていると同時に、タンクという異界に参入するために、一定の所作を行います。M氏の解説によると、タンクとは、自分が神、そして自分自身であることに対面する場所であり、タンクの中は神社の神殿と同じ意味をもつとのこと。

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いざタンクの中へ入り、入り口の扉を塞ぐと、そこは光の全く届かない漆黒の闇。そのなかにゆったりと体を横たえます。目を開けても、閉じていてもそこにはなんの違いのない状態。そして音も静寂に包まれ、自分の呼吸の音、体動の際に生じる水の音だけしか聞こえません。匂いも殆ど感じません。そして体は完全にエプソムソルトを溶かされた水の上に浮いています。水温は34℃に一定されており、これが体表の温度と一定に設定されているものと思われます。これによって体表の触覚、温痛覚に全く刺激が無くなり、晴れて全ての感覚の遮断が完成します。ここまでがたぶん、タンクに入って1~2分の間に体験することなんじゃないでしょうか。

そして次に体の深部感覚の遮断に入ります。人間は常に重力による刺激を生まれてから永続的に受けており、常に姿勢制御のために無意識にバランスを取っています。タンクに浮いている状態で四肢をタンクの浮力に委ねます。自律訓練法や弛緩法の要領で足の先から大腿、体幹、両手の指先から体の力を順に抜いてゆきます。うまく力を抜けるとまるでゼリーの中に体が埋まっている感覚になるそうです。そしてそれが首の部分、そして頭に届きそうになったとき、私は急激に深い変性意識状態に入りました。体の感覚が無くなり、意識だけが暗闇の中に浮いているような感覚、そしてそれを中心に空間が急速に拡張している感覚です。

通常サイケデリックスの影響下での体験であればそこから更にイメージの変容する世界へ没入してゆくのですが、タンク体験はそんなに簡単なものではありませんでした。というのもタンク自体に慣れていないという不安感から集中が途切れがちになり、深いサイケデリック的な意識状態に移行出来なかったり、また気負い過ぎて、自分の理想とするトリップのイメージに強迫的になりすぎて意識を自由にさせることが出来ないのです。きっかけをつかみかけて飛翔しようとした途端、現実に引き戻される感じ、眠ろうとしても雑念が気になって眠れなくなる感覚に近いといえるでしょうか。

M氏からレクチャーを受けたことが思い出されます。自分自身に対する様々な不安や恐れから抵抗が起こること、とにかく「すべてにゆだねる」こと、そして困ったときにはその課題に固執せず、タンクを一度出て見て、また再び入り直してみる。そうすると驚くほどすんなり次の体験に移行できることなどです。

今回はトータル90分のタンキングでしたが、この間実際私は一回外へ出て一度シャワーを浴びなおして再度タンクへ入りました。私自身のタンク初体験では、3回の集中力の山があったように思います。

まずはタンクへ慣れるというプロセスに生じた葛藤のフェイズ。五感が感覚遮断され、それによって生じてくる意識のみの感覚と体の感覚の葛藤、意識のみの状態に集中している際に生じてくる様々な雑念。それは自分自身の不安や恐れであったり、やり残した仕事のことであったり、他人からの視線を意識する自意識の葛藤であったり、他者から投影を受けたていたことの感情の残滓であったりするようでした。面白かったのはタンクに入ることでこれらの葛藤はまるで日常におけるノイズのように感じられ、その葛藤に悩まされはするものの、タンクの中でそのノイズは泡のように消え去ったり、対象化されて脇へ置いておくことができるものでもありました。

また体だけでなく、意識の力の入りすぎている状態、自分自身であることに固執してしまう意識、自我意識を手放せない感覚が残りました。これは自分というののが自我という鎧をまとうことで外界に対して自分を守っていると同時に、自分自身を見えなくさせているということにも繋がっているように感じられました。自分自身の内的世界と向き合うというタンクという体験の中で一番の恐れが自分の内面を自分がのぞき込むことだったように感じました。タンクに全てを委ねてしまうと、自分の恐ろしい内面が制御出来なくなってしまうのではないか、自分自身を破壊してしまうのではないかという恐れです。これは精神疾患でいうと、境界例、いわゆるボーダーライン・パーソナリティーの人が見せる破滅・迫害不安に似ています。精神分析の言葉では妄想・分裂体勢といいます。自分と他者との区別が始まる段階、赤ちゃんの自我形成におけるエディプス期と原始的防衛機制の間の世界で、これはおおよそ生後1歳くらいの乳児期の赤ちゃんの発達の段階だといわれます。

このあたりの分析的に対象化して自分を見ている世界が第一のフェイズだとすると、一度外へ出た後、入り直してからは気負ったり考えたりすること自体を諦めることからはじめてみました。タンクに入っている不思議なシチュエーションを楽しむことからはじめ、中で動いてみたりからだをほぐしてみたりしていました。面白いことにあるものに拘らなくなるとそのものが手に入ることが多いように、楽しんでいるうちに自然に深い意識状態に入っていたようです。こうするとすこしゆだねることが出来るようになっていたのかも知れません。

このときも少し不思議な体験がありました。寝ているのか起きているのか、まどろんでいるような意識の中、他者から話しかけられるような、対話的な会話が頭の中で行われていました。自分自身ではない誰かが頭の中で私に話しかけ、私が答えているような。こちらから質問をしたかも知れません。自我違和的な存在から話しかけられるなんて、統合失調症の幻覚・妄想の世界です。対象関係論ではこれは自我が受け入れがたい自己の部分を外界に投影して、他者として自分に語りかけてくる幻聴や、テレパシー体験と説明されますが、どうでしょうか。自我違和的であり外部から語りかけられると感じている段階で、それが自分の内面における問題とは本人には認識できない訳で、他者によりそうだと判定されるだけのことになってしまいます。専門的にいうとこれが統合失調症患者における病識の問題となるのですが。

私の場合は頭の中で全て進行しているので、幻聴や独語ではなく、テレパシー体験・思考伝搬という症状になりそうです。しかしこの体験もわずかなことで、これにも拘らないように浮かぶままに任せていると消えてしまいました。タンキングという体験は自我の防衛を緩める為に様々な無意識的な防衛機制が現れて来るようです。今こうやってまとめてみて発見していることも多いのですが、これは正に精神分析における退行を体験しているにほかありません。神経症の水準(自立への葛藤の防衛機制)から、抑うつの水準(自我の維持というエディプス期~前エディプス期への葛藤)、そして精神病水準(赤ちゃんの万能的世界)へ。

このように書くと、まるでタンク体験が精神病を誘発するような恐ろしいものの用に感じるかも知れませんが、実はそうではありません。というのもこれらは非常に不安の少ないレベルで、まるで夢をまどろんでいるような状態の中で起こってゆくのです。それが病気やドラッグによる急激な意識変容体験との大きな違いだと思います。

さて私の体験した第3番目のフェイズは、タンクへ入り体験していることそのものになっている状態です。この状態になると上記のような言語化した意識自体も無くなってしまい、ただ心地よい状態に身を委ねている状態です。こうなると殆ど寝ていることと変わらなくなってしまいます。体験そのものの世界といってもいいのでしょうか。こうなってはじめて、M氏の言われた「ゆだねる」といった気持ちの片鱗あたりを感じられたのかも知れません。しかしそれはほんのわずかな時間でした。そして90分の時間は長く、そして短く終了しました。

タンクを出た後は、身も心もスッキリ。赤ちゃんになって生まれ変わったような新鮮な気持ち。この世に戻ってくるまでフラフラしていました。

たった一度の体験で何か言うことが出来るとも思いませんが、体験を通じて非常に感じたのは、変性意識を扱う体験を安全に行うために、このECCOが非常に考えられて運営されているということでした。これはM氏がご自身の体験を元に、タンクを受けに来る体験者の方々が安心して意識の旅を行えるように、意識的、無意識的、そしていうなれば霊的な次元まで安全に配慮しているということです。そういったさまざなな自己、そしてそれを通した他者に対する気づきのなかで運営されていることに感銘を受けました。これはとても日本的な霊性の感覚なのだと思います。

少々自分の精神病理の部分まで踏み込んでレポートしたために、読まれた方の中には不安を感じたかたもいるかも知れませんが、実際は非常にリラックスした雰囲気のの中ですべては体験されますのでご安心を。HPにもあるように身もこころも一つになった究極のデトックス感を体験できます。ストレス解消にもこんなに効果的なものはないかも知れません。ライトユーザーから精神世界の探求者まで満足することのできる体験だと思います。

終了してからM氏とともに長い時間話をさせていただきました。晩年のリリーについての興味深いエピソードも。またM氏の縁やシンクロニシティーにまつわる話はタンクの「すべてにゆだねる」という体験と繋がるこのECCOの重要なテーマだと感じました。アイソレーション・タンクという体験が我々の生全体をもう一度蘇らせる契機になりえる可能性を感じました。また私の日常である精神科臨床での可能性も。

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John c lilly homepage

「omniverse」より転載

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